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第五章 贖罪と烙印②

Author: 七森香歌
last update publish date: 2026-08-19 10:54:21

 時折雪に足を取られながら、リスルが申し訳程度に存在している山道を登っていくと、岩場の奥の洞窟で少年の痕跡は途絶えていた。幸いにも冬の眠りについた獣たちの寝ぐらではなさそうだった。

 洞窟の中を彼女が進んでいくと、暗がりに少年のものらしき人影があった。彼女はイーシュの姿を認めると、その名を呼ぶ。しかし、次の瞬間、洞窟の中に殺気が満ちる。すっかり感情と温度が失われた少年の双眸は、普段の焦げ茶色ではなく、琥珀色の輝きを放っていた。

(力がまた、暴走している……!)

 無数の鋭利な金属の欠片が氷柱のように洞窟の上壁からこちらを見下ろしている。リスルは唇を噛む。

 リスルの持つ能力は《ヴィサス・ヴァルテン》にしろ《レーヴェン・スルス》にしろ、どちらも荒事にはあまり向いていない。一方、攻撃的な能力を持つイーシュの能力の前では、その暴走を止めようにも、なかなかに困難を極めそうだった。

(だけど……わたしはイーシュを止めたい。どれだけ難しいことだったとしても、彼の暴走を止めて、きちんと向き合いたい)

 イーシュの力に対してどれだけ抗えるかわからないけれど、やるしかないとリスルは思った。先程、彼の居場所を掴むために一度《ヴィサス・ヴァルテン》の力を行使したことで疲労を感じていたが、そうも言ってはいられない。

 洞窟の入り口で吹き荒ぶ雪混じりの風へとリスルは意識を向ける。腹に力を込め、右腕へと力の流れを集める。彼女の髪と瞳はまたしても紅い輝きを放っていた。

(あれを叩き落さないと……! じゃないと、危なくてイーシュに近づけない……!)

 リスルの意思に応じるように、彼女の頭の中で”何か”の声が響く。先程とは異なり、それは女の声色をしていた。

『与えましょう。凍てつく風を従える力を』

 冷たい礫を伴った風が洞窟の中を吹き荒れた。同時に上壁を離れ、二人へと向かって降り注ごうとしていた鋼の雨を雪混じりの風が幾ばくか叩き落としたが、大した効果はない。地面へと落としきれなかった金属の欠片が飛来し、容赦なくリスルとイーシュの身体を襲う。金属の欠片が身体に突き刺さり、裂傷からは血液が溢れ出した。

 いつの間に再生成されたのか、物騒な美しさを秘めた金属の欠片が無数に空中に浮かんでいた。

(駄目、これじゃイーシュを止められない……!)

 イーシュが己の意思とは関係なくこちらへと鋼の雨を降らせてくる。彼自身も異能の暴走により、ぼろぼろに傷ついていて、リスルとしては痛ましくて仕方なかった。

 鋼の雨は刹那の間にリスルへと迫ってくる。彼女は意を決して、今までにやったことのないことを試みることにした。

 彼女は降り注ぐ金属の欠片で傷つきながらも、全速力でイーシュへと駆け寄った。彼女自身もかなり負傷していたが、そんなことは気にもとめなかった。

(こんなふうにこの力を使ったこともないし、使いたくもなかったけれど仕方ないわ。上手くいくかわからないけれど、今のわたしではこうする以外にこの子を止められない……!)

 紅の双眸で彼を見据えると、傷だらけの手で、彼の心臓の辺りに手を添える。リスルはやったことはないが、《レーヴェン・スルス》の力を持ってすれば、人の命を奪うことも可能だ。これを応用すれば、一時的にイーシュを仮死状態にし、その動きを止めることも可能なはずだった。

(ほんの少しだけ、この子の生命の時を止めて……!)

 失敗すれば、イーシュの命をそのまま奪ってしまうかもしれないとはわかっていた。それでも、とリスルは手に力を込める。

 彼女の赤い髪と目が色味を変え、ほんの少し黄色みを帯びる。イーシュの中を巡る命の力が自分の手を通じて、身体の中に流れ込んでくるのを感じた。数秒の後、糸が切れたようにイーシュの身体が崩れ落ちる。リスルを目掛けて降り注ごうとしていた鋼の雨も動きを止め、力を失ったのか空中で霧散して姿を消した。リスルは閉じられた彼の瞼を引っ張って、元の焦げ茶色に戻っていることを確認すると、もう一度、能力を発動させる。心臓が止まってしまっている今、早くしないとこのまま脳の活動が完全に停止し、本当にイーシュが死んでしまう。仮死状態となっているイーシュの身体へと自身の中に一時的に取り込んだ彼の生命力を注ぎ込み直すと、リスルは自分の中の力の流れへと蓋をする。

「イーシュ……!よかっ……た……」

 《レーヴェン・スルス》の力により、再び鼓動を取り戻したイーシュの身体を抱きしめ、リスルは崩折れるようにして座り込んだ。その髪と目の色は彼女の本来のものへと戻っていた。

(っ……気持ち悪い……)

 イーシュの生命の時を止め、一時的とはいえその生命力を体内に取り込んだことで、臓器が捩れるような気持ち悪さをリスルは味わっていた。《レーヴェン・スルス》をこうした使い方をしたことによる反動だった。

 全身を支配する倦怠感と吐き気で動けそうになかった。リスルはイーシュの身体を抱きしめたまま、意識を失った。

 恐らく、あれから半刻も経っていなかった。リスルはイーシュよりも少し早く意識を取り戻すと、洞窟の外へ出た。薪にできそうな枝を集めてくると、リスルは疲労を押してもう一度だけ《ヴィサス・ヴァルテン》の力を行使して火をおこし、暖をとっていた。

「リスル……さん……?」

 意識を取り戻したイーシュが、リスルの名を呼びながら身じろぎをした。彼は焦げ茶色の目を開くと、恐る恐るといったふうに起き上がる。異能の暴走により、消耗はしていそうだが、命に別状はなさそうだった。全身の傷もリスルによって止血されており、裂かれたシスター服の裾と思しき黒い布が巻かれていた。

 今は茶色の巻毛とグリーンの双眸に戻った彼女に対し、彼はばつが悪そうに俯いた。暴走状態で何も覚えていなかったとはいえ、恐らく自分はリスルのことも傷つけ、殺そうとした。それにも関わらず、こうして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼女に合わせる顔がなかった。

 自分のことを家に置いてくれている村長夫妻にしたってそうだ。事情を明かすことはできないとはいえ、度々傷だらけになる自分を口うるさく案じながらも世話を焼いてくれる彼らに後ろめたさを覚えていた。

「イーシュ」

 イーシュの思考が負のスパイラルに陥ろうとしていたとき、彼女が彼の名を呼んだ。彼女は柔らかく華奢な腕でイーシュの身体を包み込んだ。その感触と女の人特有の甘い匂いに少しどきりとしながらも、イーシュは抗いはしなかった。

「どうして……」

「あなたを助けるのに理由なんて必要ないわ。ただ、力が暴走した結果とはいえ、あなたがあなた自身を傷つけている様を見ていられなかったし、同胞の暴走をどうにか止めてあげたかった」

 イーシュによってリスル自身だって傷つけられ、悪くすれば死んでしまう危険だってあったはずなのに、この人はとんでもないお人好しだ。それなのに、彼女はイーシュを救ってくれた。彼は自分の手で故郷を滅ぼしてしまったあの日以来、初めて涙を流した。心はずっと己を責め続け、泣き続けていたはずだった。

「怖かったね。辛かったね。イーシュが自分を恐れて許せなくなってしまう気持ちもわかるわ。だけどね、あなたはまだ、守られるべき子供なの。だから――どうか、一人で抱え込んで思い詰めないで。怖いって、辛いって、苦しいって言っていいの。誰かに助けてって言っていいのよ。わたしがここにいて、受け止めてあげる」

 抱きしめてくれるリスルの身体と言葉が暖かくて、イーシュは彼女の肩口に顔を埋めた。リスルの手が彼の頭をぽんぽんと撫でた。

(この人は優しくて、強い……)

 どうしたらこうして教会から追われる身でありながら、こんなに強く優しく生きることができるのだろう。どうすれば、彼女のようになれるのだろう。

 そんなことを考えるイーシュの焦げ茶の双眸からはそれまでのような投げやりさが薄れ、ほんの少し意思の光が灯り始めていた。

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